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始された。引続いて十二所町大瀧までの第二期工事四マイル一分が大正四年正月までに完成し、営業運転が行わ

れた。鉄道の開通により、大瀧温泉が発展を遂げたことはいうまでもない。大瀧温泉が貨物の集散地になって、

秋田鉄道の収入が二倍以上になった。貨物の主な物は、尾去沢鉱山への物資であった。

この当時の列車は客貨混合編成であり、マッチ箱と呼ばれた小型の列車であった。この列車を見ようと近郷近

在から握り飯持参で集まったという。

第三期工事の十二所駅・尾去沢駅(現在の土深井駅)を通り末広駅までの六マイル二分は順調に行われ、五年

五月一日に同時開業した。尾去沢駅には、尾去沢鉱山から馬車鉄道が敷かれ、物資の輸送が行われた。

〓四期工事の毛馬内駅(現在の十和田南駅)まで三マイル八分は、女神の下の岩磐掘削の難工事や物価の高謄

などにより大幅に遅れ、九年七月四日からようや

く営業を開始した。毛馬内駅は、十和田湖への

玄関口となり多数の観光客や修学旅行の乗降で

賑わった。ただ、毛馬内駅の場所が毛馬内の町

部から遠く離れていたので、町部までの延長も

計画されたが実現されなかった。また、毛馬内

駅を中央駅として南線を花輪まで、北線を小坂

までとする計画もたてられ許可を得ていた。

〓装電

第2図秋田鉄道記念碑

最終の第五期工事は、花輪までの線路敷地の