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買収やら花輪駅の場所の決定に時間を要した。九年一〇月二七日に花輪駅の問題で町民大会が開かれ、合ノ野案、

ト中島案などが出されたが、最後に決議として合ノ野にすることになった。しかし、最終的には地元の負担金一

五万円の内、六万円を出した尾去沢鉱山の要望により現在地に決定した。一一年になってようやく起工し、約

年を要して竣工し、一二年一一月一〇日に開通した。秋鉄創業一〇周年と合わせて祝賀会が開催される予定であっ

たが、関東大震災のため延期することになり、花輪町の有志による開通を祝う会が行われた。一方、好摩花輪間

の省線(国有鉄道)花輪線は、この時まだ平舘までにしか開通していなかった。

花輪線の開通

始まった。

〈正八年、原敬首相の助力を得て花輪・好摩間の鉄道線路施設工事の建設費が帝国議会を通

〓した。翌年一二月一日に東北本線好摩駅を起点として、第一工区の好摩・平舘間の工事が

第一工区から第七工区まで延長六万九、八七九メートルを一二年六ヵ月と約五五五万二、五〇〇円の工費を投

じて全通するに至ったものである。この工事の進捗状況は、好摩・大更・平舘間の一万三、七〇〇メートルが大

正一一年八月二七日に開業、平舘・岩手松尾・龍ケ森(信号場)・赤坂田間の一万六、三〇〇メートルが一五年

一一月一〇日に開業、赤坂田・荒屋新町間の七、五九〇メートルが昭和二年一〇月三〇日に開業、荒屋新町・田

山間の一万一、五〇〇メートルが四年一〇月二五日に開業、田山・兄畑・湯瀬・小豆沢・陸中花輪間の二万〇、

六三〇メートルが六年一〇月一七日に開業し、全線竣工した。この間、最大の難工事であったのが、この線の中

で最高地点である龍ケ森信号所の前後の急勾配と湯瀬小豆沢間の工事であった

湯瀬・小豆沢間は、特に湯瀬渓谷を縫うように五つの高大な橋梁と一つのトンネルが造られた。その中でも第