テキストを表示

一三米代川橋梁と呼ばれる鉄橋(所謂天狗橋)は、川底から軌条面まで二九メートルの高さを有するもので花輪

線唯一のトレッスル橋であった。なお、この間の工事に多数の朝鮮人労働者が、人夫として厳しい作業に従事し

た。

鉄道開通による影響

毛馬内駅の開業により、十和田湖への観光客の大幅に増加したことは言うまでもない。

それに伴い旅客や貨物を輸送する業者が、駅前に集中してくる。また、錦木塚の周辺

も整備され、昭和一〇年には秋田鉄道の記念碑も建立された。

花輪線の全線開通による鹿角への影響は、経済・文化など非常に多かったと言わねばならない。例えば昭和九

年、尾去沢鉱山では山許から花輪駅まで鉄索を架設して、粗銅等の運搬が容易に鉄道で出来るようになった。

田んぼに囲まれていた花輪駅から新町へ出る通りを旭町と称し、食堂・旅館・組合病院・劇場・カフェーなど

が出来て駅前通りが形成されていった。「経済力の中心は一時毛馬内に移行したかの観あつたが、鉄道の開通を

鹿角時報

契機として花輪町は商業的に躍進をつづけ、今日では鹿角郡を完全に支配してゐるかの如き観がある」(一

二・六・

一一付

付)とも言われている。

湯瀬温泉は、大湯温泉以上に発展をみた。関旅館は、湯瀬ホテルに名称を改め、大建造物で面目を一新して一

躍湯瀬温泉の名をとどろかせた。花輪方面からも湯瀬に出店する者が多くなり、温泉街を形成していった。

秋田鉄道の買収

鹿角人の望んだ盛岡大館間の鉄道全線の開通は、昭和六年に実現した。これより先、秋田

鉄道の経営は大正九年頃から思わしくなくなった。打開策の一つとして、昭和三年にガソ

リン動力軌道車(ガソリンカー)の導入が行われた。また、沢尻駅など無人駅も設けられた。花輪線と接続後も、

リン動力軌道車(ガソリンカー)の導入が行われた。また、沢尻駅など無人駅も設けられた。花輪線と接続後も、