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依然として経営が苦しく、やがて省線へ売却されるよう運動が高まった。
九年三月に秋田鉄道の買収法案が帝国議会を通過し、六月一日より鉄道省線に編入されることになった。これ
により軽鉄軌道から本格的軌道ヘレールの敷き替えが始まり、施策の改善も行われた。一〇年七月に毛馬内駅が
改築され、十和田湖を訪れる皇族を始めとする賓客のための貴賓室を備えた立派な駅舎が建てられた。翌年五月
二七日から毛馬内駅の構内の駅弁売りが許可され、ボーイがビール・サイダーや名物品なども売り歩いた。さら
に一二年にはこれまで秋田運輸事務所の管理下にあった毛馬内駅が、盛岡運輸事務所の所管に移されることになっ
た。一四年四月には陸中花輪駅が、戦時体制の物資統制下にありながら新しい駅舎に改築された。
幻の鉄道建設
庇角人の鉄道に対する熱意は、非常に高いものがあった。明治期から各方面に結びつく鉄道
建設が計画され熱心な運動を展開しながら遂に実現には至らなかった。
旭(三戸鉄道)毛馬内から大湯を通り、来満峠を越えて三戸・八戸に通じる路線である。大正六
年に秋田鉄道の錦木村松の木より分岐して、毛馬内・大湯と通り、不老倉鉱山を経由して三戸に連絡するよ
う構想されたものである。同九年に関係町村長を委員として来満鉄道期成同盟会が組織され、運動が続けら
れた。同一二年六月に三戸郡委員と鹿角郡委員が、不老倉鉱業所において善後策の協議を行っている。
2十和田鉄道大正三年に秋田鉄道を毛馬内から十和田湖へ延長する、それが無理であれば銚子発電所の中
瀧までとの構想があった。
3十和田湖横断鉄道青森県三戸郡の東北本線尻内駅より分岐して、五戸町を経て十和田湖に至り、毛馬内
駅に連絡するものである。十和田湖周辺の開発と観光のため必要であるとして、大正一一年に帝国議会に請