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願すべく、鹿角郡と青森県の有志が運動を展開した。昭和四年五月には鉄道省は、この路線の測量を開始し
ている。
右の運動のほかにも、錦木(毛馬内駅)小坂間や五戸鉄道(毛馬内・大湯から迷ケ平を経て五戸まで)等も計
画されたが、折悪しく時局が戦時体制に入り断念しなければならなかった。
郵便の発展
大正二年六月の行政整理に伴って、それまでの郡下各郵便局の監督官署仙台逓信管理局は「北
部逓信局」と改称された。管轄区域は従来通り東北六県であったが、大正八年五月更に仙台逓
信局と改称、管内に新潟県を併管することになり、昭和一一年までその状態が続いた。
大正期における郵便事業は、第一次世界大戦中の好況に影響され、郵便物の引受数も著しく増加している。そ
れまであまり庶民には馴染みにくかった郵便も、次第に生活の中に溶け込んでいく時期になる。
一方、明治一四年わが国最初の保険会社として明治生命保険会社が生まれ、二〇年代に入ると六〇社にも及ぶ
民営保険会社が設立されていた。官営の生命保険事業は、既に明治八年前島密によって企画されその準備は整っ
ていたが、国論至らず法案の提出は遅れていた。しかし民営の保険は比較的富裕な国民層に限られることから、
社会政策上の必要性からも小口保険創始の要望は高まり、官営の是非を巡って激しい論争が続いたが、大正五年