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鉱山・元山・滝ノ沢・大川台(岱)・追手(生出)が小坂局から組替になり、大正一四年八月には発荷・休平・
休屋を配達のために一区増区した。昭和二年六月からは不老倉郵便局の集配廃止をうけて阿久谷から不老倉ま
の組替、増区された。そして昭和三年六月六日から、市外の内七滝村の全部が開局になった十和田湖郵便局に組
替えされた。
〓内四番目の開局は小坂郵便局(明一七・七・一)で一旦廃局となり、小坂鉱山郵便局(明二三・四・一)の
ち小坂郵便局と改称されている。次いで明治二六年一一月一日、尾去沢鉱山郵便受取所が開設された。取扱業務
は通常郵便の引受のみでスタートした。尾去沢鉱山の隆盛がその背景となり、三八年四月一日郵便受取所が廃止
されて三等尾去沢鉱山郵便局に昇格、三九年一月一日尾去沢郵便局と改称された
『尾去沢郵便
局沿革誌』
)。
明治四四年四月二六日宮川村宮麓字堂ノ上六一に宮川郵便局が開局した。局舎は大正一一年六月に小豆沢一一
の一に移転、昭和三九年一二月小山五三の五へ、同六三年一一月小山五四の三に移転し現在に至っている。最初
の郵便局長の安倍悦人は昭和一一年一〇月まで二七年以上在職した。それ以前明治二六年五月から三六年七月ま
で宮川村長を勤めていた地元の有力者であった。二代の安倍礼三郎は昭和三六年六月まで二四年以上その職にあっ
た。郵便区は開局と共に花輪局から組替になった宮川村一円・曙村一円で、その後移動はない
『八幡平郵便
局沿革誌」
)。
大正期の開局は一一年九月二一日の長谷川郵便局だけである。宮川村谷内字沼田八九で郵便、貯金、為替、保
険とほぼ現在と同じ業務で開業している。
昭和に入ると一一年四月一日湯瀬郵便局が三等郵便局としてスタートした。局舎は当時の湯瀬ホテル内で、〓
れを有する五代関直右衛門の肝入りで開局に至ったもので、局長も湯瀬ホテル幹部社員であった関安太郎が初代