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電信の発達

甲信の送受方法で最初に鹿角で実施された方式は電話送と呼ばれるもので、短距離の電信機械

こして電話機が用いられた。長距離の場合は従って中継局を多く経ることになる。しかしこの

電話機も今日の電話と違い性能は必ずしも良くなかったのみならず、五十音を「縦・横」の番号で指定する文字

盤を用いて解読する方法で、極めて厄介であった。やがて明治の後半に入ると電報送受数の増加に伴い、各局で

導入のばらつきはあるが、電報の疎通を盛んにし能率をよくするために、順次モールス通信機と交換されていっ

た。音響通信(モールス通信)はいわゆるトン・ツウと呼ばれたもので、その後電信の主流方式となったが、鹿

角の各郵便局では、昭和二〇年代から三〇年代前半まで使用された。

大正六年には電信送受のため、三等郵便局または三等電信局に各局一人を限り通信手をおくことに規定され、

やがて需要の拡大に伴いこの人員は増員されることになる。大正七年に無線電信講習所(仙台)が創設された後、

一〇年に逓信講習所制度ができて、東北の仙台逓信講習所でもこの技術の習得のために、選抜された職員に対し

その技術を伝授した。なおこの講習所は昭和二二年大湊に同所大湊支所として開設され、北東北三県(秋田・青

森・岩手)の合格者は大湊で受講するようになった。鹿角の各郵便局からも試験に合格した者は、仙台やその後

の大湊でおよそ一年間の受講をして電報通信の担い手となったのである。

各局の沿革誌によると、明治二五年に鹿角で最初に電信取扱を開始した花輪局では、直配達区域が花輪町・配

達区域外は鹿角郡一円であった。その後三〇年に毛馬内局の開始で大湯・錦木・七滝・小坂の各村と柴平村大字

斗元を毛馬内局区内に編入、三三年小坂局の開始で小坂地区が移動している。また四〇年三月二一日に尾去沢局