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一方毛馬内局の沿革史には、その取扱事務の項に「大正五年四月一日交換事務開始(特設電話)・昭和七年

○月一日普通交換開始」と明記されている。

通話区域の拡大をみると、大正七年一二月二一日に秋田・能代・早口・鷹巣(秋田ハ長距離内トス)と県北拠

点間が通じ合い、昭和三年三月に花岡、一二月に十和田湖・三本木・七戸・野辺地・五戸・八戸とのび、四年三

『花輪郵便

月には県内の通話区域が大きく拡大したのと同時に酒田・大鰐・浅虫・函館・盛岡・仙台が通じた(

局沿革誌』

鹿角特報は昭和四年三月二〇日付において「仙台や函館とも通話開始」と報じている。そして東京との長距離通

話は昭和六年になって実現した。

東北の電信電話史』によるとその後の交換事務取扱局の開始年月日は昭和一二年九月二七日に湯瀬、一六年一

月二六日に長谷川、七月一六日に柴平、二一年三月一一日に末広、二五年三月三一日に宮川、二九年一月二一日

〇。

に曙とへ逐次拡大していった。

ラジオ放送の開始

入正一四年三月二二日、東京放送局(現NHk)の芝浦仮放送所からラジオ電波が流れ

た。正式には放送無線電話の発信で呼出符号がJ○Ak、東京愛宕山に放送アンテナが

建てられた。七月一二日本放送を開始したが、秋田県では昭和七年二月二六日秋田放送局(JOUk)が放送を

開始し、県内にも本格的な普及を見るに至った。鹿角の状況は、『鹿角のあゆみ』のなかの「ラジオ聴取の最初」

の項で次のように述べられている。

しかし、本郡でラジオ聴取がなされたのは、愛宕山から試験電波を発していたと思われる大正十四年であって、その旦

い移入には驚かされる。即ち同年五月、花輪町横町小田島源太郎(写真館)が、東京から取り寄せたのが最初である。東