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京から技師が来て組立て、レシーバーで調整、朝顔型ラッパで愛宕山からの電波キャッチに成功すると、町民の驚きは異

常な程だった。ラジオからでる音声を聞いてみたいという町民の要望にこたえるため、七月五日以降、公会堂(今の花

公民館)で入場料五銭を徴して放送を聞かせたとあるが、まったく昔日の感が深い。

昭和四年九月開局記念に仙台放送局から、初めて花輪の「花輪ばやし」が放送されたのも興味深い。

秋田放送局が開かれた昭和七年でも、全県下のラジオ台数が二、七八一であったから、それ以前からラジオ放送を楽し

んでいた家庭はごく少なかった。同放送局開局一年後の台数が八、三六九に伸びていることから察して、本郡にラジオが

普及し、文化、社会面に本格的な影響を及ぼしていくのは昭和十年代に入ってからである

ラジオの普及は、世界大戦時に入りそのニュース放送を聴取するため、いっそう拍車をかけることになった。