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第一節不況にあえぐ農業
一、耕地の変化
田・畑の割合
大正二年は気候不順で、凶作の年であった。鹿角の稲作は初め五分五厘
一〇のうち
)作と公
の五・五
表されたが、実際の収穫は四分以下の作況で、ことに小坂、大湯、湯瀬、毛馬内付近の不作
が甚しかった。県会は町村長や地主の嘆願をいれ、鹿角北秋の凶作地免租を決議し、政府に陳情した。なか
どんぐり
呂川村は、大水害も重なって最も被害が大きく、新聞は、宮麓その他奥沢等ではさかんに楢の実(の
)を集
のこと
め、多い者は既に三石に達した、と報道している。この年は、種苗交換会が初めて花輪町で開かれた年でもあっ
本郡農業における耕地の動きは、全県の大勢と同じく耕地全体として逐次増加をみるなかで、畑地は、水田増
大正
加とは逆に減少の傾向をたどりつつあった。『鹿角郡産業調査書』
の記述によれば、大正九年の調査で
九年
た。