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用組合を解散、全村の統一をはかったものである。

大正三年七月、組合員三一三名、出資一口金一〇円、貧困者には前年の凶作救済金より五円宛を出資補助とし

に設立した。当初、六集落に購買所を設け各組合員に日用品と肥料を供給し、同七年から販売部、農業倉庫をも

経営することとなった。また一〇年には同村矯風規約を定めて生活改善をはかり、さらに土地が他町村人に渡ら

ぬよう資金を融通してその防止と回収に努めた。

昭和七年現在では組合員六六三、出資口数一、三一〇、出資払込一万三、〇二〇円、貸出金一五万八、〇〇〇

円、積立金一万一、四〇〇円、貯金一三万円など。その信用部は、組合員の借入は各集落理事に申出て行われる。

貯金は義務、規約、丸宮、備荒、家族、矯風、節約、据置、定期当座の九種とする。購買部は、肥料・日用品等

を共同購入し供給する。販売部は、米穀、麻織物、木通蔓、まるめろ・桜桃・桃・兎肉・なめこ等の缶詰の共同

出荷。農業倉庫部は、米商人の暴利を排して農家の利益を守るため、米券を発行して金融の途を開きかつ米価調

節を図る、などに努めている。

大正八年三月、宮川村信用購買販売組合

組合長

阿部藤助

はその卓越した業績により、県内の模範組合として産業組

合中央会秋田支会より表彰され、同一四年組合長阿部藤助が産業組合功労者として、同中央会頭より緑綬有功章

を授与されている。また大湯共済信用購買販売利用組合は多額の欠損をだして解散、昭和五年一〇月その清算を

結了した。

町村農会の歩み

産業組合と並んで農事改良・振興の中心となって活動した団体に、農会法一

明治三二

年公布

とづく農会があった。帝国農会を頂点に県・郡・町村それぞれに組織され、系統農会とし

)にも