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救農事業

救農議会を通過したもう一つの農民救済策は、全国的に農民の収入増加を図る救農(

)土木

事業であった。これをうけて県会は、県と町村の事業分としてそれぞれ予算を配当した。その

県内事業費は昭和七年約三五五万円、八年約四六〇万円、九年約二六七万円と三カ年継続されたが、九年が冷害

による大凶作と風水害の年であったため、その対策が主となり救農土木費の名目は打切りとなった。

七年における鹿角郡各町村救農土木費は、総額約二〇万円にのぼり、その四分の三が国・県の補助金であった。

この土木工事により花輪町の福士川改修、柴平村の大湯県道の内小枝指寺坂間の改修、毛馬内町では大湯川集守

から分水し森崎耕地整理地区の灌漑および瀬田石方面開田用水、尾去沢村の尾去地区溜池工事、大湯町の大清水

線改修工事などが行われた。その従業者の賃金は、人夫頭一円、コンクリート従事八〇銭、普通人夫は六〇銭と

定められていた。

八年六月に県の決定した町村救農土木事業費配当額は、花輪五、六〇〇円、毛馬内五、八〇〇円、大湯四、六

〇〇円、尾去沢三、五〇〇円、柴平三、四〇〇円、宮川、曙、錦木ともに四、〇〇〇円であった。工事内容は各

町村とも概ね町村道改修、溜池・用水路の開鑿、林道の開設であった。

この救農土木事業は九年にも引継がれたが、同年が大正二年をこえる大凶作となったため、同一二月の県会は

これまでの名目をかえ、災害土木費・凶作応急施設費等の追加予算を計上してこれに対処した。この東北地方の

凶作は全国の同情をよび、皇室の御内帑金はじめ広く各地からの義捐金や救援物資が寄せられた。このことを契

機に政府は、東北地方の長期的な根本施策を立てる必要に迫られ、一二月おそく勅令による東北振興調査会官制

を公布、東北振興事務局を開設した。