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鹿角時報同六年一〇月三〇日付

注〓秋田魁新報同七年七月二九日付

注〓同大正九年一〇月六日付

注〓同同一四年一〇月二五日付

注〓『秋田県史』資料、大正昭和編

注〓鹿角時報昭和三年二月五日付

注〓同同六年三月三〇日付

四稲作と畑作

産米の向上

本郡における米反当収量は、大正の初め一石二、三斗程度であったが、昭和に入ると二石前後

いまで増加を示すようになった。その理由はいろいろあげられるが、まず湿田が乾田に改めら

れ馬耕の普及したこと、正条植と除草器の利用が広まってきたこと、風土に適した品種改良が行われたこと、化

学肥料の配合による合理的な施肥法の工夫が進んできたことなどによる。

大正年代における郡収穫高・反当平均高は第一二表の通りであるが、昭和五年は作付反別四、五四三町、収穫

高九万九、八五二石、翌六年は作付反別四、五五四町、収穫高七万二、四一五石、反当平均二石八升九合、同八

年は収穫高九万九、九八三石と豊作だったが、その翌九年は凶作となり作付反別四、四〇一町、収穫高六万一、

六五九石にとどまった。