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第14表麦・雑穀・いも収穫高
第七章大正・昭和前期の産業
(大正期は『鹿角郡統計要覧』、昭和期は『秋田県統計年鑑』より)
小麦
鹿角盆地は、その地形の上から扇状地
や広い段丘地に恵まれ、畑地の比率そ
のものは他郡市にくらべ高かった。普通畑作から果樹園
に転じた例を除いては、旧慣を守った粗放的経営が多く、
各作目の反当収量も依然として低い水準にあった。
小麦は、昭和八年から飛躍的にのび、同年六月「去年
秋本郡に植えられた小麦は十五町歩、目下見事にのびて
出穂している。大湯錦木のよいのは二石五斗位は収穫あ
ろうといわれ、全県小麦多収品評会の競作に出品した」
云々と報じられた。次いで七月には、県小麦多収競作に
出品の大湯町草木と柴平村小枝指の二カ所が予選に入り、
県および県農会の審査官立会で刈り取ったが、上位入賞
雁実であると報道されている。同一〇年の作付反別六〇
町歩をかぞえ、柴平村寺坂兎沢俊男が郡内多収一等となっ
た。同一一年の県農会小麦多収穫競技会予選通過は六名
(柴平兎沢俊男・小館祐次郎、曙稲垣正一郎、毛馬内成
田吉五郎・広林常吉、大湯柳館幸太郎)におよび、翌