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飼育戸数は激減したものの収繭額は増加し、その間における蚕種の改良と飼育技術の向上を物語っている。
大正の初め県は稚蚕児共同飼育組合奨励規定を定め、同三年郡内では毛馬内、花輪、宮川にそれぞれ稚蚕共同
飼育所を開設した。花輪は谷地田町関忠治方に置かれている。同七年県規定の改正にともない稚蚕共同飼育組合
は養蚕組合と改称され、蚕種の共同購入、蚕病予防、稚蚕共同飼育、産繭の共同販売、殺蛹乾繭場の設置などに
取組んだ。同九年における各組合とその実績は第一八表の通りである。毛馬内養蚕組合は組合長内藤順吉宅にお
いて、しばしば生繭の共同販売を行い好成績をおさめている。
同一四年、年々窮乏にむかう農家経済を救う副業は養蚕のほかなしという指導から飼育戸数は六〇戸以上増加
し、そのうち約五〇戸が曙村であった。またこの年の春蚕は気候に恵まれ、全郡の成績は二、四〇〇貫以上の見
込で、毛馬内における県是製糸への特売や花輪公会堂での競売は昨年の二割をこえる高値となった。夏秋蚕繭の
錦木市場は六六二貫の取引成績と報ぜられた。翌一五年、春蚕掃立約五五〇枚のうちおもなものは花輪一〇〇枚、
毛馬内一二五枚、大湯六〇枚、宮川一一〇枚、曙九五枚などで、近年の上作となった。繭市場は郡農会の手で舘
木小学校を会場に、全郡の共同販売を行い、花輪養蚕組合のみ別個に旧公会堂で開いている。この錦木市場の問
設は、本郡の養蚕業にとって画期的なことで、従来花輪と毛馬内の意志疏通を欠くまま僅少な数量を二カ所で販
売していたため、有力業者の参加がなく徒らに生産者の不利を招く形となっていた。昭和二年、懸案であった郡
養蚕同業組合の結成が図られ、組合員四一七名、役員として組合長豊口重太郎、副組合長渡部繁雄、評議員小笠
原準治、谷地政民、内田清太郎、阿部藤助、小田嶋卯助、県連合会代表関威、同予備代表小田島徳蔵が選出され
た。その後翌三年豊口組合長死去にともない、組合長渡部繁雄、副組合長高橋庄司にかわった。