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りんご園緑肥利用試験は、兎沢善平園で委託実施された。この試験は、りんご園の下作に緑肥作物を栽培し、こ

れを堆肥の代用として園地に鋤きこんで、その効果を実証するものであった。

昭和三年一〇月鹿角りんごについて、秋田魁新報はつぎの記事を掲げている。

紅玉、柳玉、国光、祝、旭、魁、倭錦等と鹿角りんごの声価京阪の市場に高く、栽培地は花輪、宮川、柴平、大湯、錦

木等約四百町歩の所産であるが、栽培生産販売の機関として花輪町に村山栄司氏を組合長に川村薫氏を幹部とする鹿角林

檎購買販売組合があり、北部に寺坂信用購買販売組合があり、奨励機関として兎沢徳蔵氏を会長とする鹿角果樹協会があ

る。相共に村山氏等の関係最も古いものであるが就中鹿角林檎購買販売組合がその当初より今日に至るまで栽培、改良に

苦心し、殊に組合として健全なる発達を遂げたる郡外に比を見ない。更に鹿角郡は鉱業関係による果樹の消費意外に多く、

名古

価格廉価ならざるに輸出品として東京、大阪、批把島

)に健実なる地盤を占めたるは実に同氏等に負う処多し。

この三年秋の大嘗祭儀式用りんご栽培が瀬田石喜代治に御下命があり、細心の努力をもって逸品の美果を献納

した。また御大典記念の京都大博覧会には、瀬田石喜代治、岩泉和三郎、田村又蔵、木村嘉助、兎沢徳蔵、兎沢

善平、兎沢千代治七氏栽培の紅玉が出品された。四年果樹協会は、新たな島田技師作成の薬剤撒布暦を無償配布

し、その実用器具として牛田式噴霧器の割引購入斡旋を行った。このように中央で高い声価を得た自信と、薬剤

撒布や肥培管理の方法における確信が、今後のりんご栽培にゆるぎない地歩を築かせたのであった。

同六年ごろより、有望品種の祝、旭、紅玉、国光などに加え、新たにデリシャス、ゴールデンデリシャス、イ

ンドが、やや遅れリチャード、スターキングが推薦され、次第にその栽植割合をふやしていった。このうちリチャー

ドについてはつぎの床しい挿話が伝えられている。