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平宮邸にてお茶を饗され、さらに宮内省より新宿御苑拝観を許されている
この年本県初めての動力噴霧機が、設立まもない寺坂農事実行組合によって購入された。動力ポンプの発動機
はクボタ式二馬力半、二石入タンクを四輪車にのせ、馬に牽かせ、十五間ホース二本によって薬剤撒布するもの
で、圧力は二五〇乃至三〇〇ポンド、一日五町歩以上に撒布する性能をそなえていた。一〇年秋のりんごも豊作
となり、とくに成熟後の風味の甘美さは各方面の賞讃をうけ、豊果園兎沢善平は東京銀座千疋屋との間に取引を
行うことになった。
各町村のりんご栽培はますます盛んとなり、花輪町だけでも栽培者七〇人以上となったので、一一年二月町当
局の指導によって花輪町果樹園芸組合が組織され、組合長には町長が推された。同月、寺坂兎沢千代治、兎沢善
おん
平は平鹿郡増田町農会に招かれ、りんご剪定の実地指導を行った。この頃より兎沢千代治は、兄枝と弟(
枝を判然と区分し、その個性を尊重することによって樹勢の均衡を確保するという独特の剪定法を考案したので
他郡からも弟子入りし教えを乞う者が多かった。この年八月下旬、小坂鉱山の鉱煙が数回にわたり大湯、柴平、
花輪方面へおしよせ、折からの無風状態に滞留したためりんごの葉が枯れ落ちて多大の被害を与えた。さらに一
○月初めの大風によって、寺坂、大湯など八割以上の落果をみ損害甚大となった。
二年二月、柴平村にも果樹園芸会が組織された。同年一〇月、鹿角りんご復興の恩人兎沢徳蔵が急逝され
果樹協会長は岩泉和三郎によって引継がれた。一三年三月に行われた第一七回果樹園品評会褒賞授与式における、
左の受賞者の方々はいずれも当時の代表的な栽培家であり、各地区の指導者であった