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馬産

大正初年から同一〇年に至る鹿角郡内の馬匹頭数は第二六表の通りである。九、一〇年と減少

しているのは、価格高騰にともない売却相つぎ、かつ食肉の需要から屠殺が増加したこと、採

草地、放牧地の限定と林間放牧の廃止により飼料不足をきたしたことに原因するという。『鹿角郡産業調査書"

所収の大正九年町村別飼養戸数および頭数の内訳では第二七表となる

また年々、馬の出産と斃死の状況は第二八表のごとくで、一カ年平均約一五〇頭の自然増加となるが、年度の

止確な現在数を知るにはさらに屠殺・郡外移出頭数を控除しなければならない。同九年当時屠殺場は小坂町一カ

所のみで、その屠殺頭数は一九〇頭、貫量にして七、六〇〇貫であった。

種牛馬区には国、県、畜産組合から種牡馬が配置され、従来の慣習からほとんどの牝馬については、隔年蕃茄

が行われていた。鹿角郡に配置された種牡馬は二〇頭で、所有別の内訳は、国有四頭、県有二頭、組合取扱県有

二頭、組合有一〇頭、民有一頭であった。ほとんど洋種で、国有馬は秋田種馬所で管理し花輪町に置いた種付所

に春季のみ出張するを例としていた。県有その他の種牡馬は個人に貸下げ飼養されていた。

明治四四年の家畜市場法の公布によって、従来の糶場は家畜市場と改称され、引続き鹿角の市場は花輪・毛馬

内の二カ所に定期または臨時に開設された。軍馬の二歳駒購買には毛馬内市場が指定されていた。両市場におけ

〓売買頭数は第二九表に示している。このほか個人間において行われる売買も相当数あったとおもわれる。いわ

ゆる馬喰とよばれる牛馬商は、専業の者一〇名、兼業の者五〇数名あって、そのうち約四〇名で牛馬商組合をつ

くっていた。大正期後半においても、鹿角郡へは従来二戸郡、三戸郡、北秋田郡、北海道から多数の移入があ

て転々とし、今なお姙馬を購入し分娩後当歳付または二歳付で売買交換する習慣があると評されている。花輪町