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馬検場が新田町から下夕町小坂へ移転したのは、昭和六年のことであった。

また大正一〇年末現在で郡内に獣医五名、蹄鉄工一四名があった。馬の削蹄・装鉄は障害防止上欠くべからざ

る条件であるため、通称カナグツヤとよばれる蹄鉄工の役割は大きかった。

馬産家たち

入正から昭和へかけて、秋田県畜産組合会議員として鹿角郡を代表した人々は、西村源五郎、

馬渕匡次郎、根本五郎、勝又次郎、根本一三、佐藤録太郎、阿部貞吉、諏訪綱俊等であった。

大正一三年九月県の種馬共進会において軽輓馬二等賞を大湯・上田嘉太郎「第三神田」

牝鹿毛

四歳

)が受賞した。

この上田の「第三神田」は翌一四年一〇月奥羽六県連合畜産共進会にも出陳されて二等賞に入賞、さらに同月皇

太子殿下

昭和

天皇

行啓の際の台覧馬に選ばれている。この頃大湯が馬産地として知られ、郡産牛馬共進会ではつ

ねに入賞上位を占めていた。昭和三年一〇月の毛馬内市場における軍馬購買では郡優良馬三〇余頭のうちから三

頭買上となったのは、いずれも大湯村の上田与八郎、谷地健五郎、橋野専太郎の育成馬であった。また同月大館

市場で農林省種牡馬購買が行われ、北鹿二郡の優良牡馬一〇頭のうち大湯村中村弥惣治の一頭だけが選ばれてい

る。同八、九年の郡品評会馬の部で大湯村広島常治が二年連続して一等賞を獲得し、八年の大館市場での農林省

買上が同上広島常治、軍馬買上も大湯村成田弥太郎、佐々木伝吉であった

当時、鹿角郡産牛馬品評会等に入選したおもな馬産家は、前出のほかつぎの人々であった。

花輪町賀川芳五郎柳沢兼吉中西多利

尾去沢町川上已之川村喜七佐藤勘太郎高杉善助渡部仁太郎松岡熊吉斉藤三郎川上重之助

宮川村畠山勘助成田福治小田島五郎畠山政之助成田喜助小田島兵治館花与七高畑喜助畠山三太郎