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第30表牛の飼養頭数の推移

第31表牛の飼養戸数・頭数(大正9年)

(『秋田県史』資料大正昭和編より)

(『鹿角郡産業調査書』による)

畜牛

鹿角郡は、山間部にあって古くから鉱山の

運搬用に牛を使役してきたことから産牛地

として知られ、大正期に入っても県内各郡市のなかでつね〓

飼養頭数第一位を占めていた。鹿角につぐ第二位南秋田郡と

比較した第三〇表からも知られるように、牛の頭数は明治末

年にくらべ、年をおうて激減の傾向にあった。

鹿角における明治四四年二、八〇八頭が大正七年には九九

八頭にとどまっていることは、わずか七カ年にして三分ノ

減ずるという急変の事態をまねいたというべきであった。み

の理由の最たるものは、明治四三、四年頃時の秋田大林区署

長がさかんに牛亡国論を唱え、国有地における放牧採草を絶

対的に禁止し、加えて民家の軒端から植林を実施した上これ

を破るものは容赦なく処罰するという暴圧を敢えて行ったこ

とによる。

そのため畜牛農家は、つぎつぎと牛の飼養を断念するほか

なかった。このことを憂慮した県は、大正八年五月農林次官

宛に牛放牧採草地用国有林開放の上申書を提出した。大林区