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著においてもようやく従来の慣行を認め限定貸下を考慮する態度にかわることとなった。ともあれ本郡畜産の場
合、馬は農業経営とかたく結びついて堆肥増産、乾田馬耕、役馬など、さらに軍馬買上とのかかわりでも重視さ
れ、牧野や国有林野の一部を馬産用地として確保されたのに対し、牛についてはほとんど何ら積極的な保護のな
いまま経過してきた。昭和に入ってから牛乳需要の高まるにつれ、都市周辺部には酪農がさかんとなり、さらに
農村恐慌にともない有畜農業が提唱されるなどしだいに陽の目をみるようになった
蕃殖・市場
そでに明治一三年県では種牛貸与規則を設定し、毎年購入の種牛(牝・牡)を産地に貸与して
改良と蕃殖をはかり、その二歳犢は市場で糶拂とし、所定の仕法金を納める手順は馬と同じで
あった。
第32表鹿角郡の産牛
(『綜合郷土研究秋田県』より)
明治後期になると、県は短角種に重きをおいて肉用種の素質をつくろうとし、産牛馬組合は極力ホルスタイン
を入れてその利用を奨励しようとした。その折衷案として「県産牛の標準をホルスタイ
ンにおき、山岳地方は短角、ブラウンスイス、シンメンタール系を配する」という方針
が定められたという。大正一一年現在本郡に配置された種牡牛は国有二頭(短角種二)
県有五頭(エーアシャー種一、短角種三、デヴォン種一)、組合有五頭(短角種五)
個人有六頭(ホルスタイン種二、短角種四)の計一八頭であった。なお、大正一三年
月秋田県牛籍規則によって、各町村は牛籍を調製することとなった。
昭和に入って、鹿角郡の産牛ははじめ各郡市中もっとも多かったが、やがて山本郡が
第一
これに迫る勢いを示していた一
)鹿角では一〇年ごろ宮川村一五二頭、柴平村一
二表