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第三
は「白色レグホン」花輪愛鶏同志会、翌二年
には「白色レグホン」錦木石川佐吉ならびに同田口善次郎、
六回
第四
第石
同一一年(
)には同じく花輪土井仁四郎、昭和二年
)には「名古屋」大湯養鶏組合と「単冠ロードマ
五回
○回
第五
イランドレッド」柴平児玉養禽園、同六年
には「同」尾去沢工藤春松と、それぞれ一等賞を受賞して
四回
いる。また大正九年初の県家禽協会連合会の準備委員として、鹿角から勝又貞春、諏訪貞治、九嶋貞司が出席し、
翌年の創立総会では評議員に九嶋貞司、委員に九嶋と諏訪貞治が選出された。このほか全県家禽共進会等では花
輪浦井繁、伊藤文太郎らがよく入賞し、大湯谷地政共、錦木田口善次郎、尾去沢小河原福治、柴平児玉栄吉らの
名も高かった。昭和四年児玉啓次
柴平村
農会長
は県に嘱託され愛知県岡崎市家禽品評会ならびに同地方養鶏事業を
視察した。
第38表
鶏の飼養戸数・羽数(鹿角郡)
(『鹿角郡勢要覧』等による.
昭和に入ると各町村の鶏兎組合や養鶏組合の活動が一層活発となり、飼料や優良雛の共同購入、種鶏場種卵(
配付、品評会開催などに取組んでいる。花輪町をはじめ町村によっては、
補助金を組合に交付しその振興を図った。当時にあっては鶏は貴重な蛋白
源であり、卵もだいじな栄養源として珍重されていた。この頃、地元鹿角
時報には、よく瀬田石養鶏場・児玉禽園・岩泉農場・浦井養鶏場などの種
卵分譲の広告がでている。
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鹿角は、明治後半から鶉の本場として知られ、さきに皇太子殿下
の船川ご碇泊中県より鹿角産のもの二〇羽を献上し、ご嘉納の上
お持帰りになられた。鶉の卵は鶏卵の二倍の滋養分があるといわれ、その
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