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後宮中の大膳職がこれを飼養して陛下の御膳に供することが例になったと伝えられる。また同七年、東京神田の
全国鶉品評会において盛岡市の上関幸次郎出品の二羽が、最優等の名誉を得た。この二羽はいずれも鹿角産から
選びだしたもので、驚くことにこの鶉一羽の評価が金二、〇〇〇円、種卵は一個五〇円であったという。鶉にお
いては鹿角が日本一と称され、ますますその声価を高めることとなった。当時、花輪鶉同好会があって毎年鳴鶉
による鹿角鶉啼合会を開くを例としていた。
なお声良鶏は鹿角が原産地といわれ、愛好者たちによってさかんに飼育されていた。昭和一〇年、渡部全次雄、
伊藤文太郎らによって鹿角声良鶏保存会が組織され、品評会、競技会などによって蕃殖と原種保存に努めること
となった。同一二年、国の天然記念物に指定された。
蜜蜂
昭和となって鹿角には多くの養蜂家がでていた。煙害に強いアカシヤが大正一〇年代から、防
煙林として各町村に植えられた。アカシヤの花は最優良の蜜源であることから、鹿角郡は県内
の生産額を誇ることになった。昭和八年末における飼養戸数をみても、鹿角が一三七戸の第一位、第二位の仙
北八四戸と大きく差をつけている。第三位北秋四五、第四位山本一八とつづいている
鹿角産の品質も良く、県種苗交換会に昭和四年蜂蜜の部一等賞大湯谷地ヱン、ついで五、六、七、八年と四カ
年連続一等賞大湯日ノ出養蜂園、九年の一等賞毛馬内小富士養蜂園、一一年再び大湯日ノ出養蜂園、一五年毛〓
内養蜂組合と輝かしい記録をつくった。
注1『秋田県畜産史』
注2秋田魁新報昭和四年三月二八日、同六月二九日付