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商業会
ぞえていた。
地域商業の改善をめざす組織として、花輪、毛馬内ともに商業会が設立されていた。花輪は大
止八年花輪実業会と改称し、同一〇年末の会員数五〇名、毛馬内商業会の会員数は八一名をか
大正一一年毛馬内商業会第五回総会が開かれ、協議はほとんど米代川水電会社の電燈料値下問題に集中した。
当日改選された役員には、会長高橋七郎兵衛、副会長大里堅吉、理事石田幸徳、石川清吉、石田清次郎、石川国
次郎、石川吉次郎、豊口甚平、糠塚徳弥、大里伍一、奈良吉次、中村司、中村専八、児玉賢二、高橋達司、高橋
福治、青山源七、下村宇七、高橋良吉の諸氏が名をつらねている
花輪実業会の同一三年第八回総会における協議の中心は、盆勘定励行の件として旧一二、一三、一四の三日を
もってこれに当てることと、花輪線延長促進方の建議についてであった。後者の花輪・好摩間鉄道の成行きは
当時の郡内実業界にとって大きな問題となっており、花輪実業会は盛岡の実業団と密接な関係を保つ必要から、
翌一四年盛岡市実業視察団を送っている
同一五年、秋田魁新報は「郡興号」鹿角郡を特集し、「毛馬内方面の商業」としてつぎのように報じいス
毛馬内町では月三回二の日が市日で、食料品や日用品の市場がでる。この間に処して商業会が活動している。会長は大
里堅吉氏といって若い人である。町の総ては最早若い人々の活動にまかせているらしい。この外に資本家連の経済研究
というのがある。これはいわゆる金融上の高等政策を議する機関で、これによって種々なる事業に投資されるのである
工業地でないこの地は小坂を背景にしてかなり手広く取引されているが、銀行の利用は花輪以上で、かつ支払いの確実に
は県外の商人も驚いている程信用があると。