テキストを表示

と造石量においても第一位の模範とされているが、昨年の醸石は約四千石本年は五千石の見込で、昨今コンクリートの油

槽新築工事中で近く来月中旬竣工のよしである。同敷地は約千坪で貯蔵倉庫は八間に十六間のもの六棟、その他麦煎機、

精米場、蒸気場、火入れ場等完成し、とくに十馬力の蒸気とほかに電力の原動力を応用し送風撹拌機を据えつけ、圧搾機

二台は共に重量三千貫の稀なるものなり。

醸石数はすでに五、〇〇〇石をこえ、販路は東北のほか北海道に広くおよび、昭和五年で職工二五名、桶樽

職常傭工五名、雑夫二名をかぞえていた。六年、初めて入大印ソースを発売している

昭和元年、毛馬内町麹商能勢小一郎は醤油味噌醸造に進出し、千福を商標に県内ひろく販売した。醸石数は七-

八〇〇石程度に推移したという。合資会社を組織したのは、昭和一八年一月のことである。

かねて花輪町関善酒造店も醤油味噌の醸造にのりだし、老松、日の出味噌の名で販売した。老松は昭和四年県

清酒醤油品評会で二等賞、五年の同品評会で一等賞、六年に二等賞、八年の東北六県品評会では特選賞をうけ、

その後も多くの賞に入っている。なお同店は、昭和四年大湯温泉下の湯に温泉熱利用の醸造工場を建設したとこ

ろ、近くの公設浴場の温度が低下するという珍事にも見舞われている。

明治三三年頃幕末から食用酢醸造を業としていた柳沢源太郎

)は、造酢を弟儀三郎にゆずり、味噌醸造を

開始した。銘柄は丸久、金柳、山吹などで生産量六、七万貫、秋田市以北では南秋小玉商店に次いで第二位であっ

たが、昭和一八年企業統制のため廃業した。

酢は、花輪酢の名で柳沢儀三郎、儀太郎とうけつがれ、現在に至っている。

また昭和五年から、曙産業組合は「組合醤油」を醸造販売している。