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襦袢下着用として好評を博したことを強調している。『秋田県産業調査参考書』は、大正九年の生産状況として

紫根染四、七〇〇反三万七、〇〇〇円、茜染一四〇反一、〇〇〇円とし、原料の紫根は朝鮮および岩手県に仰ぐ

と記している。

円一一年、県商工協会主催染織品競技会には、「染物」として栗山文次郎、小田切猪太郎とも二等を受賞した。

同じく一三年の同会においては二等小田切猪太郎、三等栗山文次郎が入賞している。翌一四年皇太子殿下(

昭和

天皇

の県物産館御台覧の折には、県特産の一つとして紫根染

小田切

猪太郎

一が御買上品の指定をうけた。一五年にも東京

三越呉服店における東北名産品陳列会に出品勧誘をうけ、小田切・栗山両店の紫根染が展示されるなど、本郡と

いうより本県もしくは東北地方の特産品として名声を高めていた

昭和三年、栗山文次郎は伊勢大神宮御用の茜染三六反を謹製するの命をうけ、新たに工場を建てその作業に入っ

た。四年秋の遷宮式における畳縁用として用いられるもので、宮内省の慎重な選定による指名であった。

各種製造業

〓郡には、冒頭に述べたように、近代的な意味で工業といえるほどのものは、ほとんど育つこ

こができなかった。その業態は前近代的な家内工業の域にとどまるものが多く、木工と金属丁

に分けてその製造戸数をみても、まことに微々たるもので第五三表に示す通りである。金属工のうち、とくに刃

物の多いのは、近世から引続き伝統的に鹿角野鍛冶がさかんであったせいとみられる。鍛冶屋もまた花輪と毛馬

内に多かったが、花輪の鍛冶屋町と称された新町から最後の一軒、通称三太鍛冶の消えたのは昭和一三年のこと

であった。