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第53表各種製造業(大正9年)

(『鹿角郡産業調査書』による.

木通蔓細工など

木通蔓細工は、日露戦争後出征軍人遺家族

援護会の事業として始められた。以来、先

進地の青森県などから教師を招聘して、数多くの伝習会を開催し

技術者の養成につとめた。販路も遠く京阪神地方にまで延び、牛

産の需要に応じきれぬ程の盛況を呈した。木通蔓細工伝習所を開

設していた山口栄助は、大正六年弟子募集の新聞広告のなかで、

去る三月県より業務視察を命ぜられた結果多大の注文を受け、そ

の数分の一にも応じ兼ねる有様であるが、昨年の三倍以上の生産

をあげ今後愈々産額を増大する積りである、と述べている

木通蔓細工の生産状況は第五四表に掲げたように、その後も飛

躍的な増加は望めなかった。七年の北海道博覧会における木通蔓細工の不振について、県官は、結局需要に供給

が伴わないのが主因である、青森県産に比し本県産の品質は決して劣っていないが、製造所といえば僅かに鹿角

と秋田市のみで沢山の注文に早速に応じきれない憾みがある、と語っている。この頃県ではアメリカはじめ海外

への輸出品として、木通蔓細工バスケット類に期待し、事業助成につとめている。

大正一一年、花輪町山口栄助・奈良市之亟出資によるバスケット合資会社が設立され、蔓細工および原料品

木通

通)の売買と委託売買に力をそそぐことになった。大正一三、一五年の東北銘産品陳列会出品の本県特産物

にも鹿角木通蔓細工が引続き選定され、また一四年一一月からの上野不忍池畔の日本産業協会主催全国副業展