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第一期工事として九〇〇キロの予定であった。この工事は同一一年に完成し、湯瀬発電所出力八〇〇キロとし

て営業運転に入り、送電線は毛馬内変電所から大館高圧所へ延び、各地区へ配電されることになった。

一方、大正一一年九月宮川村、曙村の協同経営というべき南鹿電気株式会社が設立をみた。かねて農村更生の

宮川

理想を掲げていた阿部藤助一

曙村

)、阿部貞一、渡部繁雄

村長

)らが協議し、当時若干余裕のあった尾去沢鉱

山碇発電所から電力二〇キロの無償供給をうけることとし実現したものであった。需要家数

昭和七

年現在

一は宮川村

五〇八、曙村三八七、その取付個数は事業者用を含め一、一八四であった。

昭和四年一一月、宮川・曙両村を除く鹿角の大部分をカバーしていた米代川水電は、ついに大手の北海道電燈

株式会社

(〓)に合併吸収されるに至った。北電は北海道を本拠としながら、次々に県内各社を併合し、僅かに

船川電気・増田水力や南鹿電気などを残すほかは本県電気事業のほとんどを傘下におさめていた。同社小又川発

一二、〇〇〇

電所(

キロワット

)と北鹿の連絡線によって電力の安定供給をはかるとして、大館営業所を中心に鹿角には毛馬

内変電所と毛馬内、小坂、花輪、大湯の四散宿所を置いた。

昭和九年、北電は大日本電力株式会社と改称し、郡内には毛馬内派出所が置かれた。戦時に入って国家統制が

強化され、一六年八月の配電統制令により翌一七年四月東北配電株式会社が設立された。東北配電には、東北六

県に新潟県を加えた七県の電力会社が統合されることとなり、一八年二月県内に残るすべての電気組合とともに、

ついに南鹿電気株式会社もこれに統合されることとなった。東北配電の態勢は、二六年の東北電力株式会社発足

まで続けられている。

注1『秋田県酒造史』本編