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第〓表協定利率・勉強利率対照表

鹿角の不況

大戦中好景気にわいた鹿角の各鉱山は、大正九年から一転して銅価格のいちじるしい下落に目

耕われ、とくに花輪鉱山、不老倉鉱山などは火の消えたような不振状態におちいった。大財閥

に支えられた小坂鉱山、尾去沢鉱山も、世界市況の急激な悪化と生産費の高騰に抗するすべもなく、頻発するフ

トライキなど争議の解決をはかりつつひたすら合理化、生産コスト切下げに努めるほかはなかった。鹿角の経済

にとって、その基盤をなす鉱業の不況は、あらゆる業種に深刻な影響を与える結果となっていた。

米価は、九年に一石(

約一八〇

リットル

三〇円ないし四〇円のものが、翌一〇年豊作のため宮川産業組合では一駄一・

円八五銭(

一石では、

二一円六銭

で、二〇〇駄も投売する豊作貧乏の現象を生じた。一駄は、四斗俵二俵のことである。曲

家にとって豊作もまた過剰生産として米価の下落をまねき、貧困にあえぐ農家が続出した。

大正末期から昭和へかけ、東北地方は絶えず冷害や豊作貧乏がおそい、慢性的な金融不振のなかで地主や富農

層の経済不如意、土地価格の低下、農産物価格の下落をきたした。政府は自作農の保護、小作人の土地購入を奨

励することにより、所得増大、生産の増産をはかるため、日本勧業銀行から各産業組合に対し小作人の土地購入