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資金を年七歩五厘で融資を行い、産業組合では若干の手数料をとって各組合員に貸出すこととなった。
せっかく融資された資金も、小作人の支払う利息は八歩内外の率となるので、県では大正一一年度より、利自
のうち三分だけは地方改良資金より補給することとした。大正九年に土地を買った小作人は、県内で三百数十名、
四二町歩余で、その融資額は約二〇万円にのぼった。県補助の予算は、一一年の場合日本勧業銀行の融資額一〇
万円とみて、その三分三、〇〇〇円を計上している。
この時期、農家救済に組織的に取りくんだのは、各町村の産業組合であった。例えば宮川村信用購買販売利用
組合は、自作農奨励の土地規定に基づいて他町村へ流失した土地の買戻し、肥料購入金、抵当権の抹消、家政整
理等のため必要な額を信用評定委員会で決定して貸付を行い、貯金は強制する義務預金のほかに規約預金、備荒
預金などの預金を組合員に行わせ、義務預金の集金は小学校の上級生に各地域を担当させるなどしていた。
これら産業組合は、宮川信用組合をはじめ花輪信購組合、曙信購販利組合、柴平信購組合、西町信購販組合、
寺坂信購販組合、大湯村共済信購販利組合、毛馬内信購販利組合があり、各組合とも農家救済にあたった
昭和恐慌
昭和二年一月、秋田銀行花輪出張所は支店に昇格、八月に字上花輪一四六番地
もと、ま
るだい
)に移
転した。鹿角時報ではその新築状況を「秋田銀行花輪支店は五月上旬より長年寺角空屋敷に地
を卜し新築工事着手中であるが、建築は全部洋式を採り、間口四間半、奥行五間高さ二十五尺の高壮なるたてあ
げであるが、本月下旬迄には全部竣工の見込をもって工事進捗の由」と報じている。同一〇月第四十八銀行花輪
支店は字上花輪一三九番地
現丸中
商店
へ移転、「弊行十月二十四日ヨリ従来ノ店舗ヨリ上ミ隣リ四軒目へ店舗新
築移転執務致居候」云々との新聞広告を掲げている。また翌三年一月、秋田銀行毛馬内出張所は昇格して毛馬内