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このような便法はその後ますます増え、年末の秋田魁新報には「盛銀の預金通帳/飛ぶ様に売れる/千円が一
百拾円相場で歳末の花輪町風景」の見出しの記事が載っている。内容は、花輪町を中心に盛岡銀行の預金通帳が
飛ぶように売買されている、預金額一、〇〇〇円が大体二一〇円相場で、預金者の損害額甚だしいが捨てるより
はいいといった価格で、銀行から債務ある方面では年末を見越してさかんに買取りに奔走して歳末風景をあらわ
貸付
している、と記している。すなわち銀行の債務者
)と預金者の間で相殺することにより、債権、債務の閣
先
係を消滅させる方法が行われていた。
なお一二月に入って盛岡銀行の整理促進問題は、不当貸出等の背任横領嫌疑から太田頭取の収容取調という事
態にまで及んだ。そして翌八年六月ついに同行は大蔵省より営業免許を取消され、廃業となった。その後の経過
について、鹿角時報は、先般営業取消処分のあと鋭意整理につとめ、小額の預金者に対しては全額の払渡しを行っ
ている、現在は二〇円までと聞いたが大体五〇円までは全額を払戻す見込であるとのこと、と報じている
脳岡銀行とともに花輪で営業していた第四十八銀行、秋田銀行は薄氷をふむ思いで預金者の不安解消に努めた。
払出に応じなければ、かえって不安を増すことを憂慮し、資金を日本銀行秋田支店、日本勧業銀行秋田支店より
援助をうけ、無制限に応じる態度をとり、一方県当局の機を得た発表と各銀行の新聞報道によって、大事に至ら
なかった。
最終的な盛岡銀行の整理案が、盛岡区裁判所の任命した弁護士工藤吉次ほか二名の清算人によって提示された
りは、八年一二月のことであった。その清算は和議整理の方法をとることとし、預金は昭和六年一一月三〇日〓
利息を加算した額の三割五分の免除切捨てを行い、残額を左の方法により払戻すとしている