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中小銀行の整理

第一回和議確定後三ケ月日

百分ノ六

第二回右後一年百分ノ六

第四回右後一年百分ノ十五

第五回右後一年百分ノ二十

第六回右後一年百分ノ二十

第三回右後一年百分ノ十

第七回右後一年百分ノ廿三

金五〇円以下の預金に対しては旧重役の委託により盛岡不動産会社に於て支拂す。尚本整理案につき総債権者の承諾を得

られざると認めた時は和議法により和議の申立を為す。

和議成立の時期はわからないが、鹿角時報九年八月一日付の紙上春秋欄に「盛岡銀行和議成立し清算人の整理

案によって進行のこととなる。悪夢は早く清算すべく将来の為め再びくり返さざらんことを祈るのみ」とコメー

トされているから、この時点で確定したのであろう。そして七カ年賦の返済を終え、昭和一六年八月二七日をもっ

て盛岡銀行は清算を完了したのである。

盛岡銀行花輪支店が整理を打切って盛岡へ引きあげた跡へ、九年一〇月一日第四十八銀行花輪支店が谷地田町

の旧店舗

現丸中

商店

)から移転し営業を行った。一六年一〇月二〇日第四十八銀行、秋田銀行、湯沢銀行が合併し、

新たに秋田銀行を設立して、第四十八銀行跡に秋田銀行花輪支店を開設した。

大正一一年盛岡銀行が初めて鹿角に進出してきた年、全国で一、七九四行あった銀行が、

昭和九年すなわち盛岡銀行の廃業となった翌年には四八四行に減少していた。その原因は

中小銀行の倒産ばかりでなく資本金二〇〇万円未満の銀行をなくし、弱小銀行の整理によって銀行の信用を高め

ようとし、合併・合同に拍車をかけた結果でもあった。

銀行の信用という点については、その後合併が進捗し漸次有力なものに発展するに至って事情は一変し、もは