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銀行の推移
尽会社は相互銀行に改められ、秋田無尽会社は秋田相互銀行となり、まもなく同九月から花輪会場は花輪支店に
改組された。なお岩手興産無尽会社は二五年八月平館支店花輪会場を開設していたが、翌二六年六月興産相互銀
行に改組したのち同一〇月花輪会場を花輪支店に昇格させた。
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取時中一県一行主義が唱えられ、地方銀行の合同が進められた。戦後になって既存銀行は大企
弄にのみ融資し、中小企業を顧みないという非難の声があがり、国の金融政策の転換もあって、
新銀行設立運動が各地におこった。
その具体化の全国第一号となったのが、二五年一〇月盛岡市に設立された東北銀行である。旧南部領を重視す
る方針から、同一一月花輪支店が八戸・水沢・釜石に続く同行四番めの支店として開設された。のち順調に推移
し、鹿角市制施行にともない四七年一一月花輪支店を鹿角支店と改めた。
秋田銀行は、一九年八月大湯に非常置の出張員詰所を設け、二五年一二月大湯支店に昇格させたが、三一年
月同行東京支店開店の引き当てとして廃止した。地元の要望により三三年一二月、再び大湯支店を開設した。
秋田相互銀行花輪支店は、市制施行にともない四八年四月同鹿角支店と改め、のち平成元年四月秋田あけぼの
銀行鹿角支店に改称された。興産相互銀行花輪支店は四一年七月北日本相互銀行花輪支店となり、四七年一〇日
同鹿角支店となったが、平成元年二月北日本銀行鹿角支店に名称が改まった。
羽後銀行は、三九年九月十和田支店を開設し、翌四〇年四月に花輪支店を設けた。のち四六年七月十和田支店
を廃止し、翌四七年四月花輪支店を鹿角支店とした。平成五年四月、羽後銀行と秋田あけぼの銀行の両行合併が
実現し、行名を北都銀行と改称した。