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第四節鉱業の隆替
一、鉱山のくに
技術の革新
入正期(一九一二~二六)に入って、わが国の鉱業界は画期的な発展過程をたどっていた。本
郡では、小坂鉱山が熔鉱炉、電気精銅の拡張に続いて、明治末年ベセマー転炉の採用による転
炉工場の操業を開始した。銅生産は飛躍的に増加しわが国最大の鉱山になったが、同時に製煉元鉱の確保のため、
新鉱山の開発や買鉱につとめなければならなかった。不老倉鉱山が、大正二年小坂鉱山との間に長期売鉱契約を
一七・七キロ
結び、金堀沢の自山製煉所を閉鎖の上小坂間一一哩余
)の架空鉄索道を通じ、すべて売鉱すること
メートル余
に切換えた理由の一つには、このような背景があったからである。
尾去沢鉱山の技術革新は、大正二年元山、田郡、赤沢各主要坑道の電車軌道敷設、ならびに空気圧搾機・シャ・
プナーの設備による鑿岩機操業の強化や、焼鉱場の改築と壷焼法の全面的採用などとなって着々すすめられてい
た。尾去沢鉱山における銅増産の鍵とされたのは、選鉱技術の進歩と選鉱場の拡張である。
同二年選鉱場の拡張に着手し、翌々四年に比重選鉱場として国内第一級と評された新選鉱場の操業に入った。
その一年三カ月後の五年九月、捲揚機から不慮の出火があって、ほとんど全工場を焼失する災厄に見舞われた。
翌六年、浮遊選鉱法を採用した新工場が完成し、最新の設備をもって増産態勢に入った。この新選鉱場も、同一