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第〓

)。

と階段採鉱、さらに鑿岩機の増強などによって次第にその能率を高めていった。第五六表の採鉱能率の変化をみ

ても、明治末から大正に入っていちじるしく改善された状況がわかる。

大正二年九月の新聞記事に、本県二大鉱山として小坂鉱山と尾去沢鉱山の鉱産額が載せられている(

金・銀・銅・鉛のいずれにおいても小坂は尾去沢をはるかに凌駕し、とくに金・銀においては数十倍の絶対的な

優位をほこっている。

これは両鉱山の鉱床の差異に因ることは勿論であったが、小坂

鉱山の場合は東洋一の大煙突に象徴されるように、もっぱら製煉

設備の拡大と増強につとめ、近隣鉱山からの大量の買鉱をも原料

とする買鉱製煉所として充実をはかっていたことにほかならない。

尾去沢鉱山では、真吹法による粗銅の生産が続けられ、その粗

のち三菱

銅は三菱合資会社

の方針により自社の大阪製煉所に

鉱業会社

おける電気精銅の原料として送られ、電解に付されていた。大正

一二年七月以降は、古河鉱業との協定にもとづき、古河電気工業

日光精銅所に大部分送られ、大阪送りは一部だけとなった。なお

粗銅と精銅の区別は、粗銅は荒銅ともいい銅の品位九五~九八パー

セント、精銅は精銅工程を経た品位九八~九九パーセントの精製

銅で、さらに電気銅は電気精銅法によって精製され、その品位は

第60表両鉱山の産額比較

(秋田魁新報、大正2年9月28日付記事による)