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例であった。九年度においては、賠償金のほか冷害対策施設費として町村寄附金九、六〇〇円の名目で増額され

た。この寄附金の内訳は小坂町四、八〇〇円、七瀧村二、三〇〇円、毛馬内町・大湯町五〇〇円ずつ、長木村一、

五〇〇円であった。

しかしこのような賠償金も、窮迫した農家にとって焼石に水の有様で、新聞報道は、小坂・七瀧方面では既に

煙害賠償金を担保として毛馬内町の金融業者より融通をうけ費消している、その借金約二五万円を算するとして

いる。また鹿角の農業団体についても、煙害除去というよりむしろ煙害賠償を払ってもらったほうが鹿角のため

だという見方をしている向きが多い、などの批判的記事を掲げている。

尾去沢賠償問題

る。

尾去沢鉱山の煙害に対して、初めて具体的な賠償要求の起こったのは大正二年のことであっ

た。その賠償問題の経過については、すでに第五章第一節一六ページに述べたところであ

その後しばらく静謐を保っていた尾去沢鉱山鉱害問題にも、大正一四年同村内西道口集落から被害率による個

人賠償を求める陳情があった。翌一五年一二月、さきの同山労働争議に呼応しすでに結成を了えていた農民組〓

代表らによって、三ッ矢沢三集落の煙害賠償交渉の申入れが行われた。それから間もない昭和二年三月、鉱山は

び労働争議の嵐のなかにつつまれたが、その騒ぎをめがけたかのように花輪農民組合では煙害賠償要求を徹底

的に行うとして、被害民同盟を組織し交渉に入った。

〓年一二月、同山の煙害問題は郡南部にひろがり、宮川村玉内では、田地二五町歩・山林七町・畑一八町歩に

ついて全収入の三割減を主張したが、鉱山は約七〇〇円の補償を提示してこれに対抗した。また曙村三ケ田でれ