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ての間それぞれ岩山を穿つ難工事の発電用水路の新設工事が間断なく続き、かつ同鉱山の索道架設工事が明治

四マ

三四年小坂・扇平間一

)、大正二年扇平・不老倉間で行われ、扇平には附属の倉庫等が設けられた。加えてk

イル

老倉新道や十和田道路の改修工事、大正九年完成の尾去沢鉱山大湯発電所

「工事と、大湯川ぞいには絶え間

なく土木建設工事のラッシュが続いていた。これらの諸工事に従事した労務者の大半は地元から出、長期間にわ

たった活况と人口の流入が、昭和三年大湯村の町制施行に結びついたものといってよい。

このような鉱山と関連施設から大きな恩恵をうける反面、時には予想もしない災害に見舞われることがあった。

昭和一〇年八月、当地方に襲来した豪雨によって大湯川原ノ湯に設けられた尾去沢大湯発電所取入口堰堤とそ。

一八一・八

上流左岸堤防約一〇〇間(

)が決潰し、大湯町温泉街と耕地に浸水、民家や田地に甚大な被害を与えた。

メートル

鉱山の記録によるとその被害程度は、耕地面積六九町歩、戸数一六一戸(うち流失二戸)、世帯数一八九、人員

五八三人をかぞえていた。

鉱山は発電所水路着工の同五年一〇月当時の契約に基づき、その賠償義務は認めたものの、損害額や支払方法

について被害者側となかなか折合いがつかず、交渉は難航した。結局鉱山の個々面接による個人賠償という方針

通りに進展し、年末までの補償金だけでも

土地三一件二万二、四一一円

家屋家財その他一三一件一〇万六、六六三円五〇銭

堰堤復旧工事費予算九万二、四〇〇円

の額にのぼっていた。