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一、一二五
であるという。
"キログラム
原動力は水力発電により、永田発電所と碇発電所の二カ所がある。事業用用水は従来坑内水や沢水を使用していたが
事業の拡大にともない米代川より揚水することとし、西道口に一五〇馬力の電動機ポンプ二台を設備、口径一二インチ
三〇センチ
約五一立法
)の鉄管を通じ高地にある各工場へ送水している。その水量一分間五四立方尺
メートル
メートル
)。
現在の使用人員は役員一八〇余名、坑夫約二、五〇〇名である。
としている。この文はなお続き、目下工事中の第二選鉱場、坑内電車道、事務所改築を完成すれば、大正三年度
より一カ月二万トンを出鉱する計画が実現することになるとの予想を記している。
第一次世界大戦開始後の大正四年から七年にかけ、とくに電気銅の価格上昇はいちじるしかった。同八年まで
はかってない好景気のもとに推移したものの、九年からは一転して大戦後の反動不况、恐慌に見舞われた。世界
市况の急激な悪化と、生産費そのものの顕著な高騰に対応するため、国内各鉱山はともにすみやかな合理化、機
械化が焦眉の急となってきた。この間にあって、大正七年四月に三菱合資会社の鉱山部、炭坑部および鉱業研究
所の業務一切を引継いで、三菱鉱業株式会社が設立された。尾去沢鉱山は、三菱鉱業株式会社所有一四鉱山
(
槙峯、荒川、生野、
明延、佐渡など
)のうちの一事業所として位置づけられることになった。
大正期から昭和へかけての、めざましいほどの充実発展ぶりを『尾去沢鉱山々史』
タイプ謄写刷、三
菱鉱業社史編纂室
がら、つぎにその概略を述べる。
)に拠りな
採鉱の近代化
万才竪坑三〇〇尺
九〇・九
メートル
)の開鑿により、三五馬力電気捲揚機の設置されたのは、明治四
○年のことであった。大正四年、選鉱場上方より石切沢坑内、万才坑内、田郡坑内を貫通し