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改めるなど、全般的な効率化・合理化をはかったものである。この工事は、中沢ダム決潰の大惨事を間にはさむ

などして、ようやく一三年三月に至って完成した。

なお一一年には、従来ほとんど捨てていた粗鉱中の硫化鉄鉱を売鉱に利用するため、その採取場設備を起工し

硫黄品位四五

た。これは銅系統浮遊尾鉱から浮遊選鉱法によって月額約三、〇〇〇トン

を産出しようとするも

パーセント

のであった。一一年度の産出硫化鉄鉱販売高は六、五三九トン余、五万二、八九九円の実績を示している。

一四年、銅増産に対する国策的要請が高まるにつれ、月七万トン処理の大目標が掲げられる情勢となった。現

選鉱場処理能力は月四万五、〇〇〇トン内外なので、さらに選鉱設備拡張工事を行わなければならなかった。そ

一五・一

の内容は通洞地並より五〇尺(

)高くなる新運搬坑道の坑口南側に操車場を設置、第一手選設備は残し、

メートル

新たに七万トン処理設備を新設し同建家内に第二手選設備を設ける。破砕部系統には従来の機選原鉱舎とともに

手選操業のため手選片刄を貯蔵する鉱舎を新設する。また銅系浮遊選鉱設備はそのまま使用して能力の大きいデ

ンバー浮選機を採用、硫化鉄系浮遊選鉱設備は一部増設する、などであった。

この七万トン起業がほぼ完成をみたのは、一七年のことであった。

製煉の近代化

大正四年一月焼鉱場の大改造が行われ、木造建家が鉄筋コンクリート建に改築された。その

焼鉱工程は、平型移動式ポット六台を設置し、一二トン釣起重機によってポットを転覆台〓

悪び、焼塊を転落させたのち、マグネットハンマーボールで大割に砕き、さらに手割して適当な大きさに砕いて、

熔鉱炉に送っていた。精鉱量の増加により、大正一五年小型固定式ポット二台を増設したが、昭和六年には、全

浮遊選鉱法となり精鉱濃縮品位の上昇とともに鉱量が減少したので、小型ポットは廃止された。その上、浮遊精