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第67表
処理鉱量と産銅額(大正7年まで)
鉱の半分は二〇〇メッシュ以下九四パーセントの泥状微細鉱で
熔鉱炉直接装入が有利なため、焼鉱扱い鉱量はますます減少し
平型ポット三、四台で充分となった。
昭和一〇年頃より、金鉱処理と一部買鉱製煉による硫化鉱の
増加もあって、平型六台が操業されるようになった。平型ポッ
トの大きさは内径三・〇七メートル、深さ○・九五五メートル
で、一回の装入量九トン、所要時間六時間ないし六時間半であっ
た。一〇年度の処理鉱量は、四万〇、六〇四トンとなった。
つぎに熔鉱部門をみると、明治四一年失火のため熔鉱場建屋
八尺
を全焼、翌四二年木骨煉瓦積に新築し、四三年丸型炉を二・四二メートル(
の角型炉に改めたので、熔解
炉
量は急増した。第六四表に示されたごとく年を逐うごとに熔解量の増加をみたが、やがて機械選鉱の発達改良に
ともない、精鉱量の濃縮は角炉一座で処理が充分のこととなった。
大正七年から浮遊選鉱の進歩にともない、熔鉱用送風機をルーツ型からターボ型一二五馬力に改め、真吹床数
は一四床に増加した。同一三年頃には、産銅額も月産三〇〇トン前後になり、一四年、転炉二基を新設するとと
もに、これまでの熔鉱建屋を鉄骨ストレート葺に改築し、一、二号炉とも四・五四メートル炉に改造した。
前床は大正九年、従来の小型水套移動式を大型固定式に改造し、緩は熔体のまま処理することとして三トン入
緩壷に受け、電車で捨場に運搬した。羽口炭操業も、この九年から実施することになった。