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第68表
熔解鉱と産出粗銅量(大正8年以降)
昭和〓年頃の尾去沢鉱山
(『三菱鉱業社史』より
昭和六年選鉱場の改良により、産出精鉱はすべて浮遊精鉱となっ
た。粗粉鉱、微粉鉱のいずれも品位一五乃至一八パーセントに上昇
し、その量は従来の三分ノ二に減少した。粗粉鉱はホットロースエ
ングで処理し焼塊鉱として扱い、微粉鉱(泥鉱)は熔鉱炉へ生鉱と
して直接投入処理した。
昭和一〇年においては、熔鉱炉二座、幅一・六六メートル、長さ四・五四五メートル、高さ四・六メートル、
二号炉を常用とし、一号炉を予備としながら、一日熔解鉱量一九〇トン、産出銭四〇トンであった。