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真吹から転炉へ

煉銅(

皺を燃焼し、

粗銅とする

)についてみると、明治三〇年真吹床を七座新設して以来、真吹法によっ

て型銅を産していた。真吹法は、熔鉱炉からとり出した銭に珪石を加え、木炭の熱で熔か

し、熔けた銭の表面に低圧の送風をおこなって酸化し、同時に銭(銅歩)をとり除いて、荒銅をつくることで

ある。

明治末年においては、真吹床一床の装入鍍約三トン、木炭を使用しルーツ送風機二台を運転、三六時間を要し

て型銅七五〇乃至九三〇キログラムを得た。一カ月の産銅約七〇トン、型銅一個の重量三〇キロであった。

その後床数を増加し、大正四年には一四床、通常七、八床を交互に操業した。燃料を重油等にかえ、所要時間

も一回二一、二時間に短縮された。選鉱場の拡張もあって年ごとに産銅量がふえ、大正末年には三、二〇〇トン

にも達し真吹法の限界をはるかに越えるようになった。

大正一四年、有利な転炉法への転換をはかり、塩基性転炉グレートフォールス型二基を熔鉱炉建屋に隣接して

設置した。転炉法は、回転できる樽状の炉に銭と熔剤の珪石をいれ、圧縮空気で酸化熱焼させ、鉄・硫黄分をと

り除いて粗銅を製出する方法である。設置当初、電力不足のため運転できず、小又川発電所

一、六〇

○kW

)の完成を

まって、昭和五年六月より転炉操業を開始した。はじめ真吹法と併用したが、一一月真吹法を全廃し、転炉一基

ずつ交互の操業に入った。

なお転炉の大きさは、外径二・四四メートル、高さ三・〇五メートルで羽口

炉内へ風を

吹き込む口

数九、一回の操業の

鉞七トン、所要時間三・五時間である。これに送風機二台と起重機一台が付属していた。

重量三〇乃

粗銅は、従来小型銅

)として大阪製煉所へ送り、大正一二年から大部分を古河電工日光精銅所に電

至三四キロ