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重量一一
解委託をしていた。転炉操業ののちは大型陽極型
)とし約四〇〇トンを日光精銅所に送り、ほかは大阪
○キロ
製煉所へ送っていた。
沈澱銅採収は明治から行われ、明治四四年には獅子沢に四つの収銅所があり、一カ月平均二五・
沈澱銅
五トン、品位五五パーセント程度の銅量を得ていた。
沈澱銅は、含銅分の高い鉱水を導いて、その中に屑鉄を入れると、屑鉄の表面に酸化銅の膜ができ、これを〓
収したのが沈澱銅である。
大正一〇年になり、中沢方面の含銅鉱水湧出を利用して中沢沈澱場が設けられ、昭和六年中沢鉱滓堆積池築造
の際、その下流に沈澱場は移された。また田ノ頭沈澱場は昭和五年の新設以来、良質の沈澱銅の増収がつづいた
ので次第に拡張し、同一〇年には元協和会館跡まで拡げた。この時
期田ノ頭、中沢の両沈澱場を総称して中沢沈澱場といった
沈澱場による収銅量は同一〇年頃、月平均獅子沢沈澱場三・五ト
ン、中沢沈澱場八・六トン(うち中沢四・二トン、田ノ頭四・四ト
ン)であった。なお沈澱銅の運搬は、昭和九年からそれまでの人肩
連搬をやめて、獅子沢堰堤に斜道捲揚機を設け、中沢方面もいった
ん車馬にて獅子沢沈澱場に集めてのち、捲揚機で製煉地並に捲揚げ、
ふたたび車馬で熔鉱炉へ運んだ。
第69表
一カ月平均産出金属量(昭和2~9年)