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は下四番坑に達した。この年の在籍鉱員は四七〇名、臨時夫九名である。

一五年一一月、銅浮遊選鉱改良工事ほとんど完成、一二月金鉱掘尽したため銅浮選を開始した。

六年七月、立石山塊下部の探鉱に着手、かつ小三郎深部開発の目的で白根下一番坑旧立入の取明を開始した。

八月下四番坑より白根竪坑掘下にかかる。ようやく白根坑内に活況を呈し、一七年九月白根竪坑と浮選場間に架

空鉄索を架した。

八年、白根下五番坑のポンプ整備完了。一九年二月、白根下五番坑の南向立入を急進中、高品位の銅鉱に当

たった。七月同下五番坑水没をきたし、同八月排水完了したが、一〇月下四番坑まで出水し水没した。

一〇年一月、白根下三番坑の東〓押において銅鉱大直利となる。三月小三郎は低品位となり出鉱を制限し、翌

四月遂に小三郎の出鉱は全面廃止となった。

四、不老倉鉱山

鉱況の衰退

明治期における不老倉鉱山は、二〇年以降古河市兵衛の経営するところとなり、三七年細地鉱

山を合わせ、三九年選鉱場を新築し、四四年には三〇〇万斤を超える銅を産出したことは、既

に述べた。

大正二年、産出量の漸減を見越してか、以後売鉱によるを採算上有利とみて、これまで金掘沢にあった自山制

煉所を廃止した。不老倉・小坂間に設けた架空鉄索により、産出鉱のすべてを小坂鉱山へ売鉱する体制へと移行