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花輪鉱山と花輪町間の架空索道建設が完成をみながら休止のままであった昭和五年一〇月、花輪下夕町の花輪

鉱山鉄索鉱石明け場の倉庫が全焼した。浮浪者の火の不始末が原因であった。後日、花輪町消防組に日立鉱山よ

り五〇円の送金があったという。八年一〇月、日本鉱業株式会社

久原鉱業

の後身

はいよいよ花輪鉱山再開を決め準備

調査に来山し、花輪町にも協力を要請した。花輪町では関善次郎実業会長を中心に花輪鉱山後援についての協議

と重ね、山許から鉄索を延長し鉱石・諸物資の搬送を花輪駅で行うよう、本社へ陳情することを決めた

稼行を再開した花輪鉱山は、昭和九年三月現在で採鉱夫六〇名、坑内三ヵ所において硫化鉱

を主とした採掘であった。物資は花輪から花輪越を越え荷馬で運ばれていた。ようやく軌道

日本鉱業以後

にのるかにみえた同山も、有為転変を象徴するかのように同年九月、突如休山発表を行い作業中の一〇六名の従

業員を驚愕させた。その動揺を押えるため花輪警察署の部長以下数名が急遽登山し、警戒に当たった。思えば一

月、同山視察に日本鉱業取締役の鈴木日立鉱山長が来山し、鉱石標本一三〇余種を検討したと伝えられたことが

その前触れでもあった。

同一一年九月、花輪鉱山は探鉱出張所という形で再開された。『日本鉱業社史』には、この年「わずか四二名

をもって操業を開始し」云々と記されている。その後の鉱山消息を鹿角時報紙から拾ってみると、

)日本鉱業会社花輪鉱山は、目下企業準備工程を急ぎ、田山駅を通ずる鉄索も近く完成し、大日本電力会社の送電線も竣

〓、更に選鉱場建設の為郡内の人夫にして尾去沢へ行かないものを総動員して吸収してゐる。〔別項〕最近花輪の東山方

〓に狐火が見えると云ふ話が云ひ出された。(略)あの山かげに花輪鉱山があり目下二百人近くの人が働いてゐる。月何

凹かの会計日ともなれば手にカンテラを持ち出して下界の灯にあくがれて来る(略)そこで時々七つ八つのカンテラの行