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銅鉱搬出が確実となり、花輪線小豆沢

現八

幡平

駅に至る搬出道路改修に着手した。鉱石は発盛製煉所へ売鉱され

ることに決定している、と報じている。しかしそれから数カ月後の地元紙鹿角時報は、加賀谷源吉は昨年秋一〇

月田の沢鉱山の隣接区に曙鉱山を稼行、長屋を建築し、道路を開き、三〇余人の鉱夫をもって試掘採鉱を行って

いたが、今回急に中止し四月二二、三日頃引揚を開始した、としており、複雑な事情の介在を思わせている。そ

れは同山の権利をめぐる稼行主と投資者間の訴訟事件の結果であった。

昭和一三年度以来、田の沢鉱山は旭鉱業会社の手で復旧が図られ、一時旧坑道の改修と探鉱により数カ所に良

好な鉱床を確認したとの消息が伝えられている

土深井鉱山など

土深井鉱山は明治三五年の開坑といわれ、大正元年採掘権は長岐茂幹から乳井正治

扇田

の手に譲渡され、同二年小坂鉱山の資金援助を得て事業の拡張を行った。その後本県重要

鉱山に指定されるなどの発展をみたが、同七年準重要鉱山に格下げされた。

昭和二年一二月、同山は小坂鉱山の委託経営にかわった。小坂鉱山は新たな機械設備を導入したため、その影

響から土深井集落四〇戸の飲料水に有毒成分が混じるという変事が起こり、騒ぎとなった

鉱山と鉱山集落』によると、四年頃、大切坑下九〇メートルの下五番坑まで竪坑を下げ本〓を採掘し、銅三

パーセント内外の粗鉱八〇〇~九〇〇トンから、銅六、七パーセントの精鉱月約三〇〇トンを産したという。

同六年五月ごろ、坑内湧水と銅価下落から休山説がしきりであった。七月より委託解除となり経営は再び所有

者乳井にもどり、同時に従業員三四名の解雇が発表となった。その七月、乳井山主の裁断から、鉱山の管理一切

を従業員

鉱夫二〇余名

雑役夫四〇名

)に一任し、山主は採鉱量割合による幾分の手数料だけと決めたため、同月の採鉱量は前