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第五節観光、温泉地の開発

一、十和田湖の観光開発

和井内貞行の宣伝

十和田湖の観光を広く全国的・国際的に宣伝し、国立公園指定にまで高めた功労は、ま

ず第一に和井内貞行に帰すべきである。

和井内貞行は、鉱山を退社し養魚を志した翌明治三〇年、十和田湖畔における初めての旅館を銀山に開き「観

湖楼」と命名した。十和田湖勝景の文書宣伝を始めたのも、この年のことで、貞行四〇歳の時であった

明治三五年には鉄道院東部管理局発行「鉄道案内」に、十和田湖景勝記事の掲載に成功している。自ら鉄道院

東部管理局に出頭して許可を得たもので、その後同院発行の案内書には改版の都度十和田湖の記事が掲載される

ようになった。三九年には和英両文写真版入りの景勝宣伝パンフレット一万部を印刷したので、以来中禅寺湖に

並ぶ名勝地・鱒釣り場として外人間に知れわたっていく。

また増加する観光客のため、四一年発荷に旅館を新築して末弟次郎を置き、翌年十灣閣と命名した。のち大正

五年同地に竣工した和井内十和田ホテルは湖岸を代表するホテルとして、皇族はじめ著名人の宿泊に用いられた。

十和田湖宣伝のための執筆活動も盛んで、秋田・青森の諸新聞や地元鹿友会誌等に投稿して湖の紹介をし、案

内書や写真の撮影地図の発行等にも一所懸命に努めていた。その頃十和田湖開発の急務は湖岸に達する道路の開