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二年花輪まで開通、そして昭和二年発荷峠から湖岸和井内までの県道が開設された。同九年青森から生出(和井
内)間を鉄道省営バスが運行開始し、翌一〇年に生出から毛馬内間三〇キロメートルの省営バスが開通し、秋田
県側からのバス観光が始まった。同年新装なった毛馬内駅は十和田湖の玄関駅として新たなスタートをきること
になった。
なお冬の十和田湖へ国鉄バスが運行を始めたのは、のちの昭和四三年一二月一日のことであった。
十和田観光客
東都記者団一行のにぎやかな遊覧の翌明治四三年、和井内貞行は『鹿友会誌』
第拾
参冊
)に
「十和田湖の近況」と題したなかに次の一文を寄せている。
一、昨年中の遊覧団体
例年十和田湖観覧者は、四月中旬より諸学校生徒の修学旅行あり、五月は遊客至って少く、六月よりは又追々多く、七八
九の三ケ月最も多く、十月に至れば漸次減少するが常なるが、昨四十三年は東京其他各府県下の水害に加へて青森市の大
火の為上流遊客の数極めて少かりし。而して昨年中来遊せし諸学校団体の主なるものは、
八戸中学校青森中学校弘前中学校三本木農学校(岩手)大館中学校秋田中学校秋田師範
校秋田工業学校盛岡中学校盛岡高等農林学校一ノ関中学校福岡中学校東北帝国大学
(中略)
諸学校生徒千余名
十和田神社参詣信者千五百名
普通遊覧者弐千名内団体五百余名
外国人弐十名
二、外国人の鱒釣