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に投ず。携帯品を預け機械科生は山崎先生引率機械工場を、建築科生は太田先生引率小坂病院を見学。此の夜卒業生諸兄
の盛大なる歓迎をうく。明くれば二十五日今日は幸ひに快晴一同元気頓に上り七時半より鉱山を見学す。其の重なるもの
は元山の露天堀、採鉱課のユンポンド、コンプレッサー、熔鉱炉、精煉場等何れも其の規模の壮大なるに驚く▲十時半小
坂出発、毛馬内町を経て大湯発電所に至り見学を了へしは午後三時頃、タービン附調整機の精巧にして斬新なるは此の地
方に珍らしきものなりき。二十五日当地宿泊明朝十和田に向ふ。(第一信
二十六日本日も亦好晴なり。午前七時大湯出発新道を辿りて十和田湖畔なる発荷に達す、時正に十一時半。正午より二艘
の船を浮べて絶景を探る。湖面鏡の如くして湖岸の投影筆舌の良く尽す処にあらず▲鴨ケ崎に至り船を返して蝋燭嶋、天
犯岩、茱萸嶋、六方石、尾の上崎、瓢箪崎等を左に眺め自篭り峯に攀ぢて湖上の風光を賞す。更に船を進め鎧嶋、兜嶋笠
の間を縫ふて恵比寿嶋前に至り船を留めて十和田神社に参拝し占場の奇蹟を探り休屋より船にて湖を横断して今宵の宿な
る十湾閣に帰る、時午後四時なり▲二十七日雨の音に夢醒むれば五時半、七時宿前より船を艤して雨の湖上を進み和井内
氏の養魚場に至り参観して再び船に乗ること凡そ一里。鉛山山麓にて船を降り山径を小坂に向ふ。(以下略
また十和田湖には皇族はじめ政府高官の来遊も多かった。皇族の最初は大正七年の北白川宮殿下で、同年、前
宮内大臣土方伯爵も来湖して「耶馬渓以上」と賞揚した。同九年に和井内貞行は宮内省に出頭し、十和田湖に御
のちの
用邸設定を上申している。翌一〇年の淳宮
秩父宮
・高松宮両殿下は学生として最後の旅行に来遊された。同
一一年には久邇宮殿下、一二年には賀陽宮殿下、昭和二年前首相若槻礼次郎、同六年澄宮殿下、同七年竹田宮殿
下、同一〇年伏見宮殿下、同一一年広田首相はじめ大臣もぞくぞくと訪れている。
施設の整備
湖畔の旅館は、和井内貞行が明治三〇年銀山に観湖楼を建てたのが最初で、四一年には発荷に
-湾閣、大正五年に和井内十和田ホテルが完成した。同一三年七月一三日付の秋田魁新報によ
と、秋田県側の旅館は発荷一、鉛山一、生出一、銀山一、瀧の沢一の合計五軒をかぞえ、収容能力は二百名ほ
ると、秋田県側の旅館は発荷一、鉛山一、生出一、銀山一、瀧の沢一の合計五軒をかぞえ、収容能力は二百名ほ