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の特色である。且つ又その区域を蔽う落葉潤葉樹林は本邦有数の美林であり利用上は自然研究、舟遊び、釣魚、

冬期スポーツ等の多方面に適せるのみならず区域内は国有地その大部分を占め交通分布上好適の位置にありて目

つ設備又見るべきものなり」と発表された。

同日の秋田魁新報はその社説で「十和田の国立公園指定/地域決定に一段の努力」として公園の指定地域に八

秋田魁、昭七)

幡平と田沢湖を含めるよう運動すべきであると説いている

公園地域の拡張については、この候

・一〇・九付

補地決定から男鹿包含運動は消え、奥羽アルプス八幡平一帯を含むべしとの気運が高まり、岩手県との提携が叫

ばれた。地元鹿角では十和田会の立山弟四郎を始め関直右衛門らが町村会と連動し、その運動の中心となってい

る。七年一二月には指定地域拡張運動のため知事を会長として鹿角、仙北両郡の関係町村長に有力者を加えて十

和田湖国立公園協会の設立が協議され、翌八年正式発足した。その評議員には鹿角から立山弟四郎、関威、関義

次郎、関直右衛門が名をつらねている。

八年には国立公園の本格的地域調査が開始され、内務省衛生局長より依頼を受けた七瀧村役場、鹿角郡土木出

張所はその報告書に地元民の要望として八幡平一帯を含むよう強調した。これに併せて四月、鹿角郡町村長会も

八幡平編入の陳情書を内務省衛生局長宛に送付した。同年二月には十和田会の立山弟四郎、十和田文化協会の諏

訪富多、勝又清毅、木村次郎等が発起人となって東北観光協会の設立に奔走、五月にその設立をみた。

このような地元あげての運動のなか、内務省は昭和九年三月国立公園の第一次指定をしたが、瀬戸内海・雲仙・

務島の三カ所のみで、十和田湖は含まれなかった。同一二月第二次の指定も阿寒・大雪山・日光・日本アルプス

阿蘇で終った。